2011年4月2日
寝グセを抑えながら車にのりこむ。出発の時間。
ティンプーからパロへの陸路、地元の学校がマラソンをやっていた。
ブータンの若者のシェアハウスにつれられ、さらにダンスホールにまでつれられた昨晩のせいで山々の景色と睡魔が交差する。
パロ空港に着いて、胸ポケットのパスポートを確認、ガイドのリンチェンさん、ドライバーのティンレーさんとお別れ。この二人には本当に笑わされた。「こんかいガイドはいつもとちがくておもしろかたです、はい。」と言われて、また来るときはガイドお願いしますと返した。
尾翼の国旗を写真に撮ってから、飛行機に乗り込む。
座席に座って振り返る。
基本的な生活をまずどうつくっていくかという思考を迫られている小さな国ブータンの今を感じ、それは都市に向うのではないのだ、むしろチマチマと家を共につくる姿に見えない可能性があるのだ、という意見をカタチにしていく未来のアクションを想像する。現在構築中のこの場所にとって我々の更なる活動が機能していかなければいけないのだと、とても主観的に自分のカラダの在り方を確認して。
そして、それはどこでも変わらないのだと思いたい。日本だってブータンだって変わらない。今後いくつもの異なる現状をもった地域社会に出くわし活動することになると思うが、そのとき自分が最もできることを握りしめて、真っ向から其処に居る人たちと関わっていく。いくつものコトバに板挟みになりながらも動き続けた10日間の終わり。離陸直後のドゥルクエアー。果てなく青い空の上から、普段考えていることを恐ろしい程の実感とともにもう一度噛み締めていた。
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