ブータンの首都ティンプーでのワークショップを実行するべく現地に滞在するアーティスト五十嵐靖晃と北澤潤の日記。

2011年4月8日金曜日

6日目 五十嵐靖晃

「School of Sky 3日目」

 

 ワークショップ3日目。今日は3日間のワークショプの最終日。「School of Sky」の開校日であり、3日間の活動結果を学校に対してプレゼンテーションする日でもあった。1日を振り返ると、いろんなことが起こり過ぎていて、頭の中が整理できていない。ホテルに戻って深夜1時を過ぎても僕と潤はどちらも今日の話を止めようとはしなかった。今考えていることや、今の気持が通り過ぎていってしまうことが怖かったのだろう。僕らはベッドに入っても、睡魔の限界まで頭と心に起きたことを言葉にして吐き出し続け、いつしか眠りについた。いわゆる興奮状態である。きっとサッカー選手が大事な試合でゴールを決めた時はこんな感じなのだろう。

 

7:30起床。ホテルのカーテンの隙間から空をのぞくと、雲は厚く、かすかに雨がパラパラとしており期待していた青空ではなかった。青空の下での開催イメージで準備を進めてきた「School of Sky」にとってかなり厳しい空模様である。これは困ったことになった。

 

8:30に学校に到着。校長先生と実施内容の確認と、雨の場合の別の場所での開催の検討をする。いくつか候補地の確認はしたが、グラウンド以外での実施は考え難い、晴れるのを期待するしかない。校長先生は言う。「私がいるから大丈夫。天気は良くなるわ。Because I`m weather woman」とにっこり笑う。彼女の印象は正にBig Mom

 

続いて校長先生からビッグサプライズを聞く。他の学年の生徒にもあなた達のプレゼンテーションを見せたいから呼ぶことにしたというのである。正直、最も小さな状況のあり方として、数人の先生が生徒となって子供達の授業を聞いてもらえれば、少し淋しいが形にはなるとは思っていた。他の学年を読んでくれるなんて、ありがたいことである。しかも、人数を聞いたら高学年のクラス200人が見にくると言う。これまでの2日間の活動を評価してくれたのだと思う。

 それと、今回、ブータンで活動してみないかと、声をかけてくれた僕らの大学の恩師である日比野さんが昼に学校に到着するということと、数日前に再会した際にこの企画のプレゼンをさせてもらったワンチュクさんの勤める会社BBS(ブータン国営放送)の取材も決まったことも、他の生徒達を呼ぶこととなった1つの要素なのだろう。そんなこんなで、「School of Sky」は様々な要素が絡み合って、たくさんの外からの視線を得ることとなり、大きな変貌を遂げようとしていた。あとは天気と授業の内容次第である。

 

僕らはBig Momを信じて、これ以上天気が悪くならないと判断し、グラウンドで「School of Sky」の準備をはじめた。今日は午前中にSky bedの配置と痛んだ部分の補修。午後1時から授業のリハーサル。2時から3時までが本番といった予定だったのだが、Sky bedの配置を終えた辺りで、午後からしか来ないと聞いていた生徒が、なぜかグラウンドに来た。事情はよくわからないが、授業内容の完成度を上げる時間がなかったので丁度よかった。そのまま子供達には授業内容を考えてもらうことにした。そして、今朝決まったこととして、200人の生徒が見に来るということと、BBSのテレビ取材が来るということも、みんなに伝えた。

 

さすがにあれだけ自由気ままにワークショップに参加していたみんなも、ことの大きさをすぐに理解し、「BBSは本当にくるの?」「何年生が見に来るの?」と徐々に表情が変化して、緊張感が出てきた。EnglishチームとMathチームと2つのチームがあるのだが、まとまりのなかったMathチーム(五十嵐担当)にもいよいよ尻に火がついた。

「100%自信あります、サー」といってリーダーになり、特に何もしていなかったキンケンはプレッシャーを感じて、リーダーを降りると言っているのに対して、見た目朗らかな雰囲気の女の子のタシデマが「あなたリーダーでしょ、しっかりしなさい」と背中をたたいている。そしてみんなで机を囲んで何やらアイデアを出し合い英文を書いているではないか。チームワークがでてきた。3日目にして、はじめての光景である。中身を読むと、授業のはじめの挨拶文だ。おお!やっと本気になった!プレシャーは人に力を発揮させる。みんな、ああだこうだと授業内容について話し合い、スピーチの自主練習まではじめている。良い雰囲気である。

 

ところが、ここで問題発生。ことはそんなにうまくは進まなかった。順調だったEnglishチームリーダーのトリスンという男の子が泣きながらいなくなった。いったい何が起こったのか聞いてみると、詳しいことはよくわからないが、どうやら意見を言い過ぎたのか何かで女子につまはじきされたらしい。とはいえ、すぐにチームに戻ると最初は思っていたが、思った以上に傷は深いようだ。しかもSky bedの修復作業で目を離したスキに、プレッシャーに押されリーダーを降りたがっていたキンケンがトリスンをMathチームのリーダーにしようと肩を抱いて話しかけているではないか!しかもトリスンもまんざらではない表情をしている。せっかくチームワークが出てきたMathチームも危うい雰囲気になっている。トリスンがやめるなら男子少なくなるし、僕もEnglishチーム抜けるなどとカルマは言い出して、授業内容はおろか、状況は崩壊の一途をたどっていた。

 

 お昼が過ぎてリハーサル開始時間の1時をまわってもトリスンは戻ってこない。遠くで説得しているワンガさんの姿が見えた。それでも来ないので1人1人のスピーチをマイクを使って練習してみるというリハーサルをはじめた。

 いよいよ時間がなくなってきた。本番開始まで残り20分くらいだろうか、ひとしきりみんなでトリスンを呼ぶ。でも来ない。いよいよ判断が迫られる。トリスンなしでやるか、どうか、、、。なしだったら、誰が変わりをやるかまで話をした。でも待ちたい、、、。一通りスピーチ練習を終えたあと振り向くと、トリスンがいた。泣きながら、破けたノートをつなぎ合わせてスピーチを読んでいる。「やれるか?」「、、、」「やれるよな」トリスンは息を引きつけながらマイク練習を終えた。何がきっかけで戻って来たのかは分からない。ただ、やると決めたことだけは分かった。このとき開始時間までもう残り10分程度。徐々に観衆となる生徒達は集まってきていた。

 

 トリスンがもどってきてスピーチ練習ができたのは良かったし、ほっとしたのだが、ここに来るまでに、あまりに時間がかかってしまった。Englishチームの授業アイデアは、お手本として空に関するスピーチをそれぞれがしたあとで、観衆の中から選んだ人に空について書かれたセンテンスをクジの要領で選んでもらい。その場でスピーチをしてもらうという内容だった。この最も大事な部分の進行役がトリスンだったのだ。なのでリハーサルはできなかった。しかもいきなり選ばれてテーマに沿ったスピーチをするのは大人にだってハードルが高い。残り数分の中、潤と僕がサポートに入って、やるかどうか、やるならどうするか、トリスンと、トリスンの代役になるかも知れなかったカルマと4人で話をする。そこで、最後の最後に出てきたアイデアが、先生達にスピーチをしてもらおうというものだった。トリスンとカルマで司会進行するしかない。「most important」潤と2人で進め方を伝えようとすると、カルマが若干挙動不振になっている。なぜなら、思ったより集まってきている生徒が多いのだ。僕らもびっくりした。なんと結果的に学校関係者全員が集まってしまったのだ。生徒と先生合わせて約600人が集まってきたのだ。聞いていた200人の3倍である。もうやるしかない。代役はいないのだ。

 

 生徒20人と僕と潤の緊張感はピークを迎え、それぞれに覚悟を決めた。空はBig Momこと校長先生が言った通りに見事に快復し、青空と雲だけがある最高の状態となり、30/March/2011 pm2:00-3:00たった1時間だけの学校「School of Sky」が開校を迎える。

 

 校長先生のイントロダクションがあり、騒がしかった600人の生徒達は一気に沈黙。日本から来た僕らの紹介、被災した日本への黙祷、校歌の合唱があり、その後、僕と潤が開校を宣言し「カンカンカン」鐘を鳴らす。普段、学校の授業の合図で鳴らす鐘である。授業がスタート。全部で4つの授業を行った。①English英語(トリスンをリーダーとするEnglishチーム)②Math算数(キンケンをリーダーとするMathチーム)③P.E体育(僕と潤のチーム)④Art美術(日比野さん)。という流れだ。

 

 まず、驚いたことは子供達がみんな見事にそのスピーチや発表をやってのけたことだ。600人の観衆を前に、午前中の動揺や、トリスン事件など全く感じさせないほどに、みんな堂々としていた。その姿はとても誇らしいものであった。気持よく裏切ってくれたと言っても良い。彼らはまったくすごい連中だ。僕と潤がしたことは授業が変わる時に次の授業のタイトル紹介と鐘を鳴らすことくらいだった。

 

 リハーサルできずにぶっつけ本番で行った、アポなしで、生徒達が指定した先生による、空のセンテンスを取り入れたスピーチも大成功で、最後まで先生という役であり殻を壊さない人。逆に少しだけ生徒らしくなった先生の姿なども生まれ、もっとも盛り上がった授業となった。

 

 唯一Sky bedを使った授業のP.E体育はSky bedの上に寝て、一分間という時間を自分の中で数え、ちょうど良い所で起き上がるということを行い、三回の予選と一回の決勝を行った。自分も決勝だけ参加したが、一分からほど遠く、優勝はなんとあのキンケンだった。まぁ、Mathチームのリーダーとしての大役も果たしたし、キンケン優勝なら良しとしよう。観衆も含めた皆で静かに空の時間を感じる授業となった。

 

 本来の狙いとしては、生徒達にもっとSky bedを授業に取り入れてもらいたかったのだが、これは少しハードルが高かったようにも思う。それと同時に、僕と潤は共通認識をして3日間ワークショップを進めて来たとはいうものの、作家として空に注目し空を作ろうとした僕と、学校に注目し授業を作ろうとした潤との間にやりたいことのズレが根本的にあったという結果なのかもしれない。

 

 Artの授業は日比野さんがゲストティーチャーとして登場し、日本の被災地にハート型に切り抜いた布を1枚の布に貼り合わせて気持を届けるハートマークビューイングのブータン版を行った。日比野さんは今日現場入りしたにも関わらず、状況を把握し、3日間のワークショップを見ていて、自分も参加したいと思っていた他の学年の生徒達の心をつかみ、見事にその場をもっていった。圧倒的な場づくりと巻き込み方は経験が成せる技なのか流石である。ただそのままの流れで「School of Sky」が終わってしまいそうな雰囲気に強い抵抗感を覚えた。このまま終わってはいけない。ちゃんと「School of Sky」の閉校を20人の小さな先生達に宣言してもらわなければ!もちろん潤もそう思っており、すぐに2人で確認した。

 

 頃合いを見て「make a line!」と何度も叫んだ。やっとこさ集まった20人の小さな先生が一列に並んで、「School of Sky」の閉校を宣言する。全体の時間が延び、場が拡散してしまったが、この挨拶が重要だったのだ。すっかり全体のリーダーとなったトリスンが閉校を宣言。

最後に「School of Sky!」「School of Sky!」と何度もみんなで大声で叫んだ。なかなか終わらない。これでお別れだということは皆分かっているからだ。何度も叫んでこの出来事をそれぞれの中に焼き付けているようにも感じた。最後の一回、大きく声を重ねて「School of Sky」は完全に閉校し、3日間のワークショップを終えた。一人一人と握手を交わす。抱きしめたいくらいの気分だったが、学校全体を巻き込む出来事を共につくりあげた仲間としては握手がちょうど良い。握った手は3日前と変わらず小さな手だが、その存在は一回り大きくなったように思えた。

 

 途中、スピーチにあった「IgarashiJunのことを僕らはずっと忘れない」この言葉が強く心の中に今も響いている。僕らも君たちのことをずっと忘れない。

 

School of Sky」を通して、たった3日間のプロジェクトとは思えないほどの様々な飛躍と発見と経験をすることができた。3日間と考えれば充分すぎる成果であったと思う。長期プロジェクトで起きるハプニングやポイントといった要点だけが凝縮されていた。そういう意味では、今までの自分のプロジェクト経験の中では過去最短である。何がこの状況をつくり出したのだろうかと考える。そして何を持ち帰ったのだろうか。

 

 まず考えられるのは、まさかの展開から当日に600人の観衆と、国内唯一のテレビ局の取材が来るということを知り、大きなプレッシャーがかかり「見る⇔見られる」の関係が突然際立つ形となったこと。そして、そこから逃げ出さなかったからこそ成長し、持ち帰る経験へとつながったのだ。特にトリスンは目の前の問題から逃げずに向き合う自分をつかみ取り、1つ成長したに違いない。また、仕掛ける側の僕らは、生徒を信じて待ち続けることと、状況の変化に対応し続けることを最後までやり通したということがある。

 

 それと、今回は潤と組んだというのが大きかった。互いを尊重しつつも作家としての個性がある以上、注目するポイントや、やり方は違う。自分にとって特に新鮮だったのが待つ時間だ。この時間は何もすることができない。ただ20人のメンバーを信じて、内面的変化を促しつつ、待つのである。待つ時間はもどかしくもあったが、そのあとの変化と飛躍には感動があった。コミュニティの一部に働きかけ、その人達とそれ以外の人の関係性を際だたせる。潤はそういった状況をつくるやり方である。

 対して僕は、コミュニティに対して、自らの行動を見せ、伝え、共に行動してもらい共有することで、その輪を広げていくやり方である。彼と組んだことで、3日間をよりスリリングに過ごし、この密度まで達成できたのだと思う。

 そして、最後に登場した日比野さんからは、その時の参加者の何かを作りたい気持ちを見事に引き出し、一体感を出しながら、鮮やかに形にしていくやり方を目の当たりにした。

 こうして3人のアーティストがそろうと良くも悪くもその影響は現場に生まれ、自分のやり方を意識せざるをえない状況でもあり、自分を再認識するには良い機会でもあった。

 

これらの経験は間違いなく今後の活動の糧となっていくに違いない。かといって全てが完璧なわけでもなく、まだやれることもあったと振り返る。プロジェクトを通してそれぞれが持ち帰るものは、この出来事に関わったその人の積極性と深度による。共に「School of Sky」を作り上げた20人の生徒の中には、うまく関われなかった人もいる。その人達をフォローすることはできなかった。もちろん全ては難しいことは分かっているが、気になってしまう。が、彼らは彼らで何か思うところはあったに違いない。その気持を大事にしてもらいたい。

 

最後に思うのはやはり環境だ。校長先生と、美術担当のワンガさんをはじめ、Druk Schoolは僕らの全ての要望に応えてくれた。学校の全面的な協力があったからこそ、僕らは3日間、自由に活動することができた。そして、ガイドのリンチェンさんとドライバーのキンレイさんも一緒になって作業に関わってワークショップを作ってくれた。このプロジェクトに関わってくれた、たくさんの人達に感謝をしている。人と出会うから、コトが起き、何かが生まれ、感動できるのだ。

 

空を眺めて、あの鐘の音を感じたとき、「School of Sky」で過ごした、今日の自分をそれぞれに振り返るのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿