ブータンの首都ティンプーでのワークショップを実行するべく現地に滞在するアーティスト五十嵐靖晃と北澤潤の日記。

2011年4月8日金曜日

7,8日目 五十嵐靖晃

「最後の2日間」

 

 ワークショップ「School of Sky」を終え、ブータン滞在は一区切りついた。残りの2日間はブータンの外務大臣や観光局長に会ったり、ロイヤルティンプーカレッジでブータンでの活動を講演したり、伝統美術学校を訪問したり、といった動きの中で、ブッダポイントと呼ばれるティンプーの町が見渡せる山の上に建設中の巨大な仏像を見にいったり、ドチュ・ラという標高3150mの山頂にある108個の仏塔を見に行ったり、少しだけ観光もして過ごした。また夜は、仲良くなった友人のソナムに誘われ、表層的な観光では出会えないブータンの若者達の集うシェアハウスに単身乗り込んで、酒を呑んだり、クラブに踊りに行ったりもした。

 

この2日間は、偉い人から今時の若者まで、自然や伝統的な暮らしから都市の暮らしまで、ブータンの表と裏。理想と現実に出会うこととなり、この国の状況であり真実であり問題を自分なりに把握した。そして、この国の未来の可能性に関わることになりそうな予感を感じ。きっとまたこの国に仕事をしに来るんだなぁと、ここで何かをしている自分を漠然とイメージしたのであった。

 

 外務大臣や観光局長に会って話をする理由は、昨日(30日)にブータン入りした日比野さんがブータンの観光大使をしているからだ。特に観光局長との話が印象に残っている。彼が強く言っていたのは、日本におけるブータンの認知度を上げ、観光客を増やしたいということと、はじめての観光大使である日比野さんへの期待は大きいということだった。

 

 ブータンに来る観光客で一番多いのがアメリカ人、次に多いのが日本人。どうしたらもっと観光客に来てもらえるようになるだろうか。観光局長なのだから考えるのは当然である。彼らが考えていることの1つはマッシュルームフェスティバル。ブータンはマツタケがたくさん採れる。しかもブータン人はマツタケより、なにやら黄色くて小さい同時期に採れるキノコの方が好きらしく、マツタケはいくらでもあるのに、キノコシーズンに来た日本人にマツタケを出すと喜ぶ。だから認知度を上げるためにマツタケはどうだろうかということだ。やり方次第の部分もあると思うが、地方物産展をイメージする。マツタケを食べにわざわざブータンまで行くだろうか。

 

 日比野さんはアートが観光の力になるという話をしていた。例として上がったのが、越後妻有大地の芸術祭や瀬戸内国際芸術祭だ。そこではアートがきっかけとなり、妻有の里山や瀬戸内の海といった自然を見に、その土地の人達の暮らしや温かなおもてなしに出会いに沢山の観光客が訪れている。ブータンには美しい自然とそれに寄り添った暮らしが今も機能して残っている。

 

 ブータンの人にとっても、美しい自然は分かりやすい。では、分かりづらいであろう暮らしの魅力とはなんだろう。そこで、例として上がったのが、初日に僕らが出会ったパロの建設現場である。そこでは、役所の要人が住む家が建設されていたのだが、日本のように建設業者が建物を建てるのではなく、村ごとに持ち回りで数週間ごとに交代しながら、村人達が建物を建てていた。子供から大人まで、そこには老若男女がおり、時にワイワイと、時にのんびりと皆で共同作業をしている雰囲気に惹かれ、2時間ほど作業に参加させてもらった。とても楽しい体験だった。自分たちの村の建物は自分たちで作るということだ。

 

 だが、この話をして心配になった。仮にこの作業に参加できることを観光体験の1つにしたとすると、最終的には観光客が参加するための家づくりをすることになってしまう。観光化された伝統的な日常生活ほど悲惨なものはない。

 

 また、実際に来てみて感じたのは、ブータンは今、地方で生きている伝統的な生活と、首都ティンプーの都市化する生活の歪みを抱えているということだ。観光局長曰く、戦後急激に発展した日本をお手本に生活を改善していきたいということらしいが、日本からきた我々が魅力的に思うのはむしろ伝統的な暮らしの方である。

 

 僕はその後、ブータンの現実の一側面に出会うこととなる。31日の夕食を終え、滞在中に仲良くなったソナムやその友人達が集うティンプーにあるシェアハウスに誘われ遊びに行った。シェアハウスはコンクリートの新しい建物でシャレている。大学時代からの友人達24か25才くらいの若い仲間が仕事を終えて夜に集う場所だ。職種は様々でテレビレポーター、歌手、高校の先生、ローン会社、現在無職など様々だが、そこにはテレビやインターネットがあり、酒も飲むしタバコ(パブリックスペースで吸っているのが見つかったら3年刑務所に入るらしい)も吸う。格好はジーパンにTシャツにスニーカー、女の子はスリムパンツを着てたりする感じで日本とほとんど変わらない。この日は僕が伝統衣装の「ゴ」を着ていたから、日本人が「ゴ」を着て、ブータン人がカジュアルという、なんともヘンテコな状況だった。着いた時にはみんなはもうかなり酔っぱらっていたこともあり、突然訪問した僕にも親しく普段通りに接してくれた。

 

 深夜に高台にあるラジオ塔までドライブしてティンプーの夜景を見に行ったり、外見は真っ暗でドアの隙間から微妙に光の漏れているような、知らなかったら決して入れない郊外の隠れた飲み屋のような場所に行ったり、結局、朝5:00頃まで飲んで、その日はホテルに戻らずにシェアハウスで仮眠させてもらった。朝起きるとみんな「ゴ」に着替えて出勤である。自分も一緒に出勤する車に乗せてもらいミーティングに向かった。別れ際はフェイスブックやってるからメールするね。といった感じ。

 

 これもまた僕が出会ったブータンの現実である。観光ガイドで紹介される桃源郷のようなブータンの対極にある部分だ。表層的な観光をしたって決して見えてはこない。

 

 観光の話に戻すと、観光局長からの相談は「今後、このブータンという国はどう進んでいくべきなのだろうか?」ということなのだろうと思う。これは国の行く末であって、少し話が大きすぎる気もするが、観光を国の収入源としてやっていくということは、国をどうつくって伝えていくかということだ。しかも観光資源は美しい自然と伝統的な暮らしである。

 

沖縄、タイ、、、など想い描いても、どこの国もうまくいったためしがない。観光客が自然を踏み荒らし、現地の人は金銭収入が生きる目的となり、最終的には表層だけの伝統文化が残り、暮らしの中での機能を果たすことは二度となくなる。

 

 出会った若者達からも分かるように、今という時代に世界と繋がることを避けることはもうできない。利便性や経済的発展を求める意識も強くなるだろう。

 

ここで考えるのが、この国が掲げるGNH(国民総幸福指数)である。「幸せとは何か?」この問いかけに、世界を知った上で、この国の人達は何を選択し、どう生きていこうとするのか。

どこの国もできなかった第3の選択をできる可能性を僕はブータンに感じている。

 

経済的発展と引き換えに日本が失った、美しい日常生活。ブータンにはまだそれがある。だが、世界と繋がりながら、その美しい日常を維持し、観光として伝えていくことは簡単なことではない。

 

そこでアートの力が役に立つのではないだろうか、アートプロジェクトがその美しい日常を伝えていく可能性をもっているというのが、観光局長への日比野さんからの提案であった。そして、今後、ブータンで展開していきたいアートプロジェクトの構想を、この時に伝えたのであった。GNHを実現化させるためのアートの役割。実は僕もこの時に、はじめてちゃんと聞いた。

 

僕は、アートプロジェクトには土地と土地、人と人、土地と人、といった既にあるものに対して新しい関係性をつくる力があると考えている。もっと簡単に言うと、その地域に訪れた人と、地元の人をごちゃ混ぜにし、交流させつつも、その土地の持つ魅力や美しい日常を問題提起も含めて伝えていくことができる。また、そういった役割を担っているのだと思う。

 

国の未来と観光とアートプロジェクト。なんだかとても壮大な話のように思えるが、Druk schoolに訪れた日本人アーティスト2人と、20人の生徒と、美術の先生と、校長先生、あとガイドと運転手で巻き起こした「School of Sky」が結果的にその最初の一歩となったに違いない。

 

どこに行って何をするか。はっきりとは分からないままブータン入りしたわけだが、ただやれることを全力投球で限界までやってみた結果が、今後の構想の中での最初の役割をちゃんと果たしていたことを、最後の2日を通して確かめることができた。

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