ブータンの首都ティンプーでのワークショップを実行するべく現地に滞在するアーティスト五十嵐靖晃と北澤潤の日記。

2011年3月30日水曜日

4日目 北澤潤

2011328

 

 ワークショップの初日である。9時からのスタートに向けて7時起床、820分にホテルを出発した。雨が降っていたので対応策を考えながらのドライブだ。

 

 学校について屋根の下の机や椅子をうごかし場づくりをする。Skyといれてるだけあって何とか空の下で行いたいのだが、雨が降っている。校長先生が歩き回るこどもたちに、「風邪を引くから雨にあたらないように!」と叫んでいたので屋根の下だけでワークショップをおこなうことに踏ん切りがついた。

 

 机をいくつか合わせて大きな作業台を準備、まわりを椅子で囲む。横には竹の骨組みと、ハトメをさっそく付け始めるガイドのリンチェンさん。多すぎる机も横の建物の軒下に移動してかなりすっきりした。もういつでも来いという感じで待っていたのだが、一向に子どもたちが現れないではないか。9時からの予定が、9時半、10時をまわった。どうやら私たちが場づくりをしたり、待ちながら道具を整理したりしている姿が準備中にみえたそう。待っているんだよと伝えると先生が子どもたちを呼びにいった。少しずつバラバラに集まってくる。集まったのは大体20人くらいか、男女比は同じくらい。10歳から11歳までの生徒達だ。

 

 だいたいいいかなという頃合いを見計らってワンガさんが我々を紹介してくれる。名前を伝える。日本から来たと言う。そしてすぐに震災の話を始めた。全く仲良くなっていない、はじめの固い状態の時にこの話をしなければいけなかった。持って来た写真をめくりながら日本の現状を説明すると、みんな写真をまじまじとみてSadと言ったり、ため息をついたり、小さなリアクションをする。こういう場所から来た我々はここで君たちのエネルギーを背負って日本に届けたいと思っていると伝えた。

 

 ブータン人の名前は難しいのでこのままだと3日経っても覚えられない。生徒の名前を聞いてもらってカタカナに変換、テープに書いて胸に貼ってもらった。これで名前を呼びやすくなるのでなかなかいい方法だと思っていたが、これがのちに少し面倒な騒動になる。

 

 《School of Sky》の説明をする。「Simply, We create original sky and school together.」他にも色々言って説明する。私が「夢は雲で寝る事です。」というと、「私の夢は雲を食べる事。」と言う。完全にもってかれたのだが、これがうけた。空と学校をつくるということに、意外と彼らはすんなりのってきた。日本でこどもたちと一緒に活動する時の基本的な姿勢としてシャイでもじもじする、というのがあるが、ここDruk School 20人にはあまり無いような予感がした。そこまで意味はわからないがやれる、というスタートの姿勢。雲に見立てた竹と布のハンモックを「Sky Bed」と名付け、今日は空を描く。まずはスケッチブックに練習。その後白い布に青い絵具。乾いたら竹に張ってできあがり。みんないいねいいねというような反応で咀嚼している。

 

 スケッチブックに空を描いてみると、ほとんどが同じように空、太陽、山、俯瞰した街、川を描く。どこからはいったイメージなのだろう。山の形はとてつもなくとんがっていて高い。でもそれはブータンの山そのものだ。彼らの絵の描き方をまず見た上でこちらの描き方を投げかける。五十嵐さんが空を見ながら雲のラインをコピーしてみようとやってみせた。曇り空をじっと見ながら手を動かす。この描き方の方があるものを写しているだけなのに、さっきの画一的な画面よりはるかにイメージの幅が広い。数人で同じ紙に描いてみると重なったりしてさらに奥行きがでる。このやり方でいけるとわかったところで本番の布に。絵の具やハケの数はかなりギリギリなのだけど学校のものを使わせてもらった。

 

 青色をいくつかつくって布に描き始める。紙に描いた要領を活かして上手く手を動かしていた。1枚目が終わったところでランチの時間。ここで問題が浮上する。ブータンに滞在するときは絶対にガイドが密着する。自由旅行は不可能でランチもガイドが予約するのだ。言うなればツアリスト用のシステムなのだが、もうそろそろ我々はそのシステムと合わない部分が出はじめていて、このランチ問題も同様だ。午後も作業を継続するのにもかかわらず現場を離れて綺麗なレストランで食事しないといけない、大変わずらわしいロスである。なんとかガイドにお願いして予約の時間を遅らせることに成功、学校の給食を食べることになった。ほんのすこしはいっている副菜がべらぼうに辛いが、美味しかった。生徒は屋外でもどこでも好きな所でランチを食べている。

 

 ランチ後、次の空を描く。白い布への最初のためらいなど全くなくて、むしろ勢いが増してきた。竹の骨組みづくりも同時に進めながらだったので、彼らは自分達でどんどん描く。どんどん手も顔も青色に。気づくと手で塗り始めていて、ちょっとその展開を疑いはじめた。雲の線を描いてもないし、絵具が飛び散って汚くも見える。「空らしさ」が薄くなってしまっていた。私は骨組みづくりや記録の役割を一度離れ、空に参入した。みな手を使うなかで細かい筆をとり、雲のカタチを丁寧に縁取っていく。もう色面はいいから縁取ろう、勢いが収まらずあまりに伝わらないから珍しくリンチェンさんに通訳を頼んだほどだ。

 

 ほどなく落ち着いてワークショップの時間は終わる。子どもたちも教室にもどったのだが、なぜか数人は残っている。授業じゃないの?と聞くと体育の時間だよ、と言う。不思議だったのでワンガさんに聞くと、いま体育の時間はすこしフリーらしい。体育というより遊びの時間だ。残った数人と計5枚の空を描き終わり、最初の1枚を試しに骨組みに張ってみた。授業を終えた最上学年のタンディが寝転がってみるが耐えている。さらに同じ名前の一緒に描いた少女タンディも乗っかる。すっぽりはまって気持ち良さそう。これで快晴の空を眺めたらなんて気持ちいいだろう。空を描いた行為と、それにカラダを委ね天空を眺めるというストーリーに、小さなタンディの様子をみて納得した。

 

 明日はこのスカイベッドの5台完成と、授業づくりをする。スカイベッドを場として使い、学校にたいして自分たちの授業を企てる。1日でやれるとは思えない内容量である。

 

 帰るまでに一緒に活動した20人以外の生徒が寄ってくる。自分の胸にも日本語の名前を貼ってくれと次から次にオーダーを受けた。飽きたころにお茶の時間がやってきて、今までで一番良いタイミングのミルクティーだと思った。

 

 幾つかのボーダーラインが頭を泳ぐ。SkySchool、スカイベッドと授業づくり。やりすぎな雲の描き方と、ギリギリセーフな雲の描き方。私はできればこの、空の布を日本に持ち帰りたいと考えていた。ブータンと日本。ここで終わるのではなくこのエネルギーを次に繋げていきたいと考えていた。だからみんなの雲の描き方が気になってしまったし、雲のふちはキレイに描いてほしいと言った。それは彼らにとっての良い描き方かどうかではなくて、私の勝手な個人的心境がそうさせたのだと後から思う。私はそのとき目の前のハツラツとした子どもたちの塗りたくる青色の先に日本の青色を思い描いていた。

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