ブータンの首都ティンプーでのワークショップを実行するべく現地に滞在するアーティスト五十嵐靖晃と北澤潤の日記。

2011年3月28日月曜日

1日目 北澤潤

2011325

 

朝から胃がもたれていた。昨日のタイフードのせいだろう。

目をこすりながら空港に到着、バンコクからブータンで二番目に大きい街パロへ向かう。

 

窓際の座席からブータンが見えると、これは凄い所に来たな。と正直思った。

山の斜面、赤茶色の大地に、白く四角く似た家がぼつぼつと建っている。俯瞰してみていた光景がどんどん近くなっていき、その家々の横の平地に飛行機は着いた。

 

空路を歩いて入国審査をする建物にはいるが、渡航者に対して審査をするパロ空港の人が少なすぎる。行列をまちつづけるのは嫌なので、しばらく空路から写真をとることにした。見渡すかぎり山、はためく旗。被写体は十分である。

 

Excuse me. と空港職員に声かけられ、きづくと行列はすくない。

スムーズに入国を終えてブータンの旅がはじまると思いきや、出口で止められた。「タバコはもっているか?」

ブータンでタバコは吸ってはいけないのだ、小さな部屋に誘導されタバコをポケットから差し出す。1本いくらと決まっている罰則金、計算するのになぜかおそろしく時間がかかる担当者。しかもお金を払ったらタバコは持っていっていいそうだ。我々の前の怪しい4人組は200箱を没収されていたので、本数にもよるのだろうと思う。全く怖くない雰囲気で罰金を渡しながらも世間話をする余裕。ここでも「日本から来た」というと、震災の被害について検問の人に聞かれた。

  この旅でずっと世話になるガイドのドルジさんと合流し、今日の動きを相談したところいくつかの線がでた。私はパロを離れ数日後に3日間WSを行う小学校の視察をしたいと思った。が、このままパロを通りすぎるのはもったいない。結局今日の宿がありWSをおこなう小学校がある首都ティンプーに入る前にパロの街を見よう、ということになり、博物館、寺院を巡るプランになった。パロのなかでもかなり高い位置にある博物館から見下ろすと街のスケールがすこし把握できた気がした。このあとに行く寺院を上からビデオで撮ろうとおもったら、そのすぐ横でなにやら人が作業をしている様が気になりカメラを向けた。

 

寺院の近くまで降りると、気になった場所は村人が家を建てている作業現場のようで、数十名の人がつくりかけの塀の上やそのまわりを動き回っている。石を運ぶ人、セメントを運ぶ人、石を積み上げていく人、砂を運ぶ人、つったっている人、休んでいる人。それぞれ態度はちがうが「家を建てる」という目的の中で過ごしている。ドルジさんに聞くとゾン(寺院)の役目のひとつである役所、そのトップが住むための家なのだという。ゾン自体が10年規模の再建計画進行中で、この現場はその一部。パロのいくつかの村が交代しながら作業をすすめるらしく、みなボランティアでやっている。

 

 五十嵐さんと私は一目みて手伝いたいという気持ちが湧き出ていて、なんとなく手伝いはじめてみた。まず女性の仕事らしい石運びから。肩に大きな石を持って塀の上までとどける作業。我々が石を抱えているとみんな何だ何だと、ながめてくる。笑われ、不思議がられながら石を運んだ。そのうちに五十嵐さんはセメント運びに移行、私は石運びを続ける。周りの人の目線をずっと伺いながら居たが、運びを終えて石積みの手伝いをしはじめて距離が近くなると、入ってくるなという人はおそらくいなく、奥の方でみているおじさん達は私が手伝っている青年にもっとこうしてやれああしてやれ、と指示。ようするに我々が入ってきて悪くは思ってないようだ。トンカチで石を叩きちょうどいいサイズにする。これがとても器用。トンカチ一本で思い通りの大きさにしてしまう。平らに置けない場合は小さな石を差し込みセメントで埋める。見た目のわりに繊細に作業を進めている。張られた糸をはみだしてはいけない、セメントは置くだけのほうがいい、エマという青年に教えてもらいながら、どんどん石をおいていく。まだまだやりたりなかったのだが、ムービーをまかせていたドルジさんのガイド的スケジュールが区切りをつけ、みんなにお礼をしてゾンにはいった。

 

異空間のゾンからでたらまだ作業はつづいていて、再度お礼して通過した。

 

 後ろからはしゃぎ声、小学生たちが坂を降りてきた。「今日の学校はどうでしたか?」と1人の少女(スリンゴン)に聞くと最高の笑顔だ、「私学校が好きなの」。下校路と私たちの目的地が重なったらしくしばらく話していた。少女にも「どこからきたの?」ときかれ「日本だよ」と答えた。このとき、この小さな少女からも日本の震災についての言葉がでてくるのかもしれないと緊張した。でもそうはならなかった。

 

 

小学生と別れて車にのり首都ティンプーへ。谷を1時間以上ずっと走る道、途中眠ってしまった。パロとは大きく異なり都市のようなティンプー。こうも違うものかと驚きホテルチェックイン後にとりあえず散策をした。有名な時計台から見上げると意外と星はでていなかった。                                           パロを抜けてWSをするティンプーの小学校を視察したいと焦っていたこと。

「日本からきました。」という発言からはじまるやりとりに敏感になっていたこと。

これらは私が震災に関してなにかアクションをしたいという気持ちをもっていて、現地の状況を常にイメージしようとしているからおこることなのだと思う。

 

でも私はいまブータンにいて、目の前には荘厳な風景が広がっている。

このギャップは、ブータンという面白い土地に来たという旅行的面白みより私にとってはるかに強い。

 

そんななか思い返すと、あの瓦礫から石をひとつひとつ抱え、セメントを二人掛かりで運び、石を叩き、割り、丁寧に積み上げていっている人のすがたがとてつもなく頼もしく思えてくるのだ。自分たちの街は自分たちでつくるという前提共有があって、みんなマイペースに長い間かけて家を建てていく。

街のカタチが波にのまれた土地は、これからまた街をつくらなければならない。

彼らの中にはいって手伝いながら、被災地と現在地がほんのすこしだけオーバーラップする。

 

体にのしかかっているふるさとの震災による現状、そして今国をこえてここにいる意味を見いだす素朴な解決策として、私は彼らの姿を真似てみたかったのかもしれない。

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