ブータンの首都ティンプーでのワークショップを実行するべく現地に滞在するアーティスト五十嵐靖晃と北澤潤の日記。

2011年4月8日金曜日

6日目 北澤潤

2011330

 

 今日の日記は全くどうまとめていいのかわからない。ありえないことがいくつも起きてしまった。それはどれもとても小さい事件なのだけど、私はその都度、大きく揺さぶられる。

 

朝はいつもどおり少しの寝坊。820分出発の予定が、朝食をホテルのレストランでパックしてもらって10分遅れ。ドライバーのティンレーさんは、「わたしうんてんうまいからだいじょぶです」と言ってくれる。車に乗りながらの更なる問題は天気である。小雨だ。《School of Sky》と言っているだけに、快晴が望ましい。グラウンドで実施できる可能性について冷静に判断が迫られるだろう。

 

校門をはいったら校長先生がいた。いくつか調整をしましょう、と言われた。なんの調整なのかわからないまま、青いカーテンがドアにかかる校長先生の部屋にはいる。

調整の内容は今日の《School of Sky》をどのように行うか、についてだった。雨が降りそうだがどこで行うのか、他の学年の生徒たちも集めたいと思っているのか、その場合椅子に座らせるのかどうなのか。当日の朝になって急に諸々の相談をもちかけてくれることに、ありがたいながらも不思議に感じていた。

 

 校長先生に初めて会った4日前、「イーゼルは必要なの?スケッチブックは?」といった類いの心配はされたのだが、当日の今日、その内容はがらりと変わっている。私や五十嵐さんから《School of Sky》について校長先生に説明したことはなかったので、おそらく昨日のチラシを生徒から手渡されたことによって《School of Sky》の内容を把握し、校長先生の心配する項目が変わったのだろう。しかも、積極的に手助けをしようとしてくれている。

この変化は彼女のなかでのアートに対する前提が変わったとかいう大袈裟なことではない。我々が毎日朝から夕方まで学校にいて、準備やワークショップをおこなっていること、Sky Bedというカタチを見た事、子どもたちが一生懸命にチラシを配っていた事など、動き回る《School of Sky》メンバーを校長室の2階の窓から眺めていたり、ランチタイムに我々と会話した経験の積み重ねによる、身近なリアクションであることは間違いない。

 

五十嵐さんと相談した結果、このまま曇天の空を眺めていてもしょうがないので、ポジティブに晴れることを想定して午前中から我々で場づくりをすすめていこうということになった。ワンガさんと3人でSky Bedを円弧状にグラウンドに配置していく。手作りなので背の高いもの低いもの、布がやけにたわんでいるものなど様々だ。バランスをとりながら着実に配置を確定した。今日に至るまで何度もSky Bedに子どもたちが乗っていたためにぐらついているものが幾つかあったので補修も始める。竹材を差し込んで強度をあげる。陽気なガイドのリンチェンさんは「これごふんでできるね、もんだいない。」というがいくらデュパたちの技術をもってもその時間は有り得なかった。

ひとつひとつ直していると、あるサプライズが起きた。20人の子どもたちが集まって来たことだ。今日の活動時間は午後1時から3時までと決まっていたはず。1時から1時間で最後のリハーサルをおこない、2時からの本番に備えるスケジュール。それなのに午前中から活動することに担任の先生が了承したのだという。先生たちの間でなにかのやりとりがあったのは間違いないが、まさかの展開。これで授業を準備する時間がちゃんととれる。元々のスケジュールだと、内容がちゃんと詰められないまま本番という危うい状況になると思っていた。

 

チミとチェッツォが寄ってくる。Englishチームの授業で使用する「空に関するキーワード」を紙にかいてきた。自主的につくってきたことで英語班について少し安心するが、ここで彼らに追加情報を伝えなければいけなくなった。校長先生の計らいによって《School of Sky》に参加するために200人の生徒が集まるという仰天のお知らせだ。みんな目が点。授業のプランを変更する必要がでてきた。多くのオーディエンスを飽きさせないように短い授業時間をちゃんとデザインしなければいけない。まずキーワードをオーディエンスに見えやすくするため黄色い布に大きく書きはじめた。

 

その間に五十嵐さんが様子を見ているMathチームにはいる。こちらにもすでに200人が見にくることが告げられていてリーダーのキンケンは焦っていた。白い眼鏡をしたタシデマはMathを教えるための問題を考えてきていて頼もしい。キンリーとイシャの仲良しコンビはなぜか二人で紙に向っている。さらに私たちも予期していなかったBBS(ブータン国営放送)が取材に来るという超仰天情報が追加された。キンケンの顔がひきつった。

 

Englishチームリーダーのトリスンが泣きだした。これには完全に不意をつかれる。理由はいまでもはっきりと分からないが、Englishチームの女子たちとうまくいかないようだ。男子の多いMathチームにはいるといって聞かない。わめき泣くのではなく静かにいじけるからむずかしい。キンケンは賢いトリスンをMathチームに入れさせてくれと、ちっとも男らしくないことを言っている。女子たちとトリスンを説得し、何とかEnglishチームに留まってもらった。

 

トリスンをゲットする可能性を失い追い込まれたMathチームはようやく自分達でやるんだ、という気持ちをもちはじめ猛スピードで授業を構築する。もちろん何人かがサッカーをしたり、緑の葉っぱを両手にこすりつけたり、自由でバラバラな危機的状況は変わりないのだが。

 

五十嵐さんはハードであるSky Bed の強化に完全シフトし、私がソフトである両チームの授業案最終決定をアシストする。

 そして、このタイミングで日比野さんが到着。我々より5日遅れのブータン入りだ。ここブータンにおいてアートプロジェクトの事例をつくるアーティストとして五十嵐さんと私を呼び込んだ張本人である。五十嵐さんがいまのこの状況を伝えた。

 

本番20分前のリハーサル。みんなちっとも集まらない。椅子が足りない。トリスンがまた泣いた。なんとか始めるが英語チームのプログラムは難易度が高すぎてここにきて保留、数学チームは内容が少なすぎてすぐ終わってしまった。ぐずるトリスンがなんとかもどるがスピーチの内容を書いたノートは破れている。ぐだぐたなまま本番5分前、Englishチームのカルマと五十嵐さんと私で最後の最後にミーティング。保留されたプログラムを再構成する。「Important」と何度かいうと、カルマは「Yes sir.」と答えた。会場であるフットボールグラウンドには続々と生徒や先生があつまってくる。おかしい、これは200人を明らかに越えている。尋ねてみるとなんと全校生徒を集めてしまったらしい。

 

こんな状況で私は圧倒的に彼らの可能性を信じようとしていた。トリスンは一度は泣き止んだし、キンケンもスイッチをいれて頑張っている。スピーチする先生役のレッドやチミやリディやタンディも自分で真剣に用意を進めている。きっとできる。

 

いくつかのボーダーラインを越えなければいけなかった。先生と生徒の役割。オーディエンス600人と主役の20人。私と五十嵐さんの尊重し合いながらも重なりはしない作家性、被災しているふるさとと4,700km離れたここブータン。

 

結局私はそれらを越えられなかったのだと思う。自分の中にひっかかっていた多くの対立事項について、《School of Sky》がはじまる直前まで何ら解決策は思いついていなかった。

 

円弧状におかれたSky Bed600人のオーディエンス、ブータン唯一の放送局であるBBS。会場は整った。最初は私と五十嵐さんが挨拶する予定だったのだが、きらびやかなキラ(ブータンの女性が着る民族衣装)を着た校長先生がみんなの前に立つ。日本からはるばるやってきた私たちへの感謝と、我々が抱えていた日本に起きた震災という悲劇について言葉を丁寧に結ぶ。そして彼女は全員に対して1分間の黙祷をお願いした。あのやんちゃな生徒たちが目を閉じる、私も一緒に目を閉じる。

 

とても長い時間が経ったあとのようだ。ゆっくり目をひらく。その後Druk Schoolの校歌をみんなで歌った。

 

ようやく我々の出番だが、もう対して言葉はいらない。感謝の気持ちを伝え、宣言をした。「We open the School of Sky.」大きな拍手とともに五十嵐さんが鐘をならす。カンカンカン。この鐘は普段Druk Schoolで使われている授業のはじまりとおわりを告げる手動チャイムだ。

 

トリスンにマイクが渡った。私たちのEnglishがはじまる。本日2度泣いたとは思えないほどすらすらとオープニングスピーチを飾り、レッドにバトンタッチ。女子メンバー11人が空に関するスピーチを行う。レッド、リディ、チェッツォ、アスミタ、タンディ、ナウワン、チミ。思えば、準備の後半このメンバーはスピーチをひたすら考えていた。なかにはpoemを披露する人もいた。様々なスピーチが連続するこの時間が、次の展開につながる。カルマの出番だ。

マイクを握り、「今度はこのスピーチを先生たちにやってもらいます。いまから5人の先生を選びます。」そういって選ばれた先生たちが黒板の前にやってきて、カルマの持つ袋から黄色い布を掴み出した。ひらくとEnglishチームが考えたトピックが書いてある。このトピックについてのスピーチを即興で発表してもらうという何とも厳しいオーダーである。先生ならできるでしょうという私たちと子どもたちからのハードルだ。

生徒が先生で、先生が生徒になる。まずは校長先生。トピックに沿った作詞をおこない歌いはじめた。一度終わって拍手をもらったのだが気持ちよかったのか、更にうたい大きな拍手が帰ってきた。さすがプリンシパルそうきたか、と感心してしまった。次に選ばれた先生は、「Why the sky dark at night?」というトピックを引いた。そしてなぜかこのトピックに対して答えたい生徒はいるか、とオーディエンスに投げて子どもに答えさせた。数人の子どもが答えた後に自分のコメントを付け加えるすがたを見て、生徒の前では教師らしくいるということが体に染み付いているのだろうと思った。生徒(トリスンやカルマ)から指名されたこの状況で更に生徒を指名したことは、子どもに助けを求めたかのよう。Englishチームから向けられた先生への圧が「教師」という日常の配役を暴きだした、と私は1人のオーディエンスとして見ていた。歌を歌ったり、子どもを呼んだり、スピーチしたり、先生が次々に技芸を披露していく。

先生たちによるEnglish スピーチが終わると、次はMathの時間なので、マイクを受け取ろうとしたらトリスンが渡さない。カルマと二人で何かを言い、大きな声で歌い始めた。全く意味が分からず動揺する五十嵐さんと私を尻目に全校生徒も歌いだした。何だこの状況は。全然わからない英語で予定にはいっていなかった歌を周りの全員が歌っている。どうやら「空」に関する歌をみんなで歌おうと二人がマイクでけしかけたらしい。この場に慣れてきた二人の主役がオーディエンスを味方にして私の想定していた《School of Sky》とはちがう物語をつくる。泣き虫とおふざけ者に我々はまんまとやられてしまった。

大合唱が終わるとMathチームが前にでる。私がEnglishの終わりとMathの始まりをただ短く伝え、五十嵐さんが鐘を叩く。二人とも自分達のすべきことはもうこのくらいだと把握していた。

 

キンケンのスピーチが始まる。

 

Good Afternoon to you all respected Principal and vice Principal teachers and my dear friends. Today we the team of School of Sky is going to change teacher and students responsibility. Teacher as student and student as teacher. Our team is going to teach maths. Our team members are Rinzin,Kinley,Esha,TashiDema,Kinzan and myself.

 

もうほうっておくことにした。驚くほど本番につよい。キンケンがリンゼンとキンザンにマイクを渡すとMathの授業がはじまった。数式を書いては先生を指名して、前に出て答えを書かせていく。なかなか挑戦的で2問目はmathの先生を指名した。こんなに多くの人に見られながら、出題に答えることは先生もしたことがないだろう。

 

さきほどと違って先生が数式を答える時間は静かになるので、P.P.8学年の内の最低学年、5歳のクラス)がざわつきだすが私は特に何もしない。オーディエンスのさらに外、植え込みから写真をとりながら自分の中の色んなことが緩やかに剥がされていくのを感じていた。全校生徒の黙祷にはじまって、トリスンの勇気、カルマのナレーション、キンケンのスピーチ。一昨日知り合ったばかりの20人の若き精鋭が私の中のひっかかりを次から次へ越えていく。私は自分だけでは越えられないものを他者と共にもしくは他者によって越えられる、その瞬間に居合わせていることに気づきはじめた。

 

タシデマが分数について、イシャとキンリーの小さなコンビが図形の種類について解説をする。紙にかいた図式や図形をみながらマイクをもってオーディエンスに向って説明している。背丈の小さな先生たちの言葉に集中して、もっと英語を勉強しておけば良かったと心底おもった。

 

また鐘が鳴る。Mathの終わりだ。私と五十嵐さんが前にでて、私たちも彼らと同等にP.Eチームとして授業を考えていた。直前まで二人で話し合ったが、どれだけ自分達で授業を考えるのが難しいか、子どもたちにどれだけ難しいオーダーをしたか、そしてそれをやってのけたことが如何に大変なことか、いざ我々がやるとなって気づくこともたくさんあるだろう。

School of Sky》の体育としておこなうのは「Sky Bed を使って空を眺めること」。これは五十嵐さんがやろうと言い出したことだった。すぐ近くにある空を自分達でつくり、そこからもう一度空を見る。ここまでやることがSky Bedをつくることから始まる五十嵐さんのワークショップとしての筋書きなのだと思った。空に対して空をつくる五十嵐さんと学校に対して学校をつくる私のアーティストとしてのポイントが《School of Sky》の中で複雑に交差しているのがこれまでの日記とここでP.E.の授業としてこの行為を行うことで読み取れると思う。

生徒を5人選び、Sky Bedに寝てもらう。1分を心の中で静かに数え、ちょうどだと思うタイミングで起き上がる。ゆっくり静かに時間と空を感じる。オーディエンスはSky Bedの周りにあつまりじっとみつめる。ゲームとして成立させるために、トーナメント制にして予選を3回、決勝を1回おこなった。なんと優勝はキンケン。決勝には五十嵐さんも参加したが負けていた。

また鐘がなる。最後にサプライズでArtの授業として、日比野さんにでてもらう。日比野さんのワークショップをどのタイミングで行うべきか自分の中で本当に悩んだのだが、《School of Sky》の中に組み込むかたちになった。はさみと紅白の布が生徒全員に配られ、青い布が真ん中に敷かれた。白で雲、赤でハートのカタチを切って貼る。日本でおこなっているハートマークビューイングである。状況を読んで震災については語らなかったが子どもたちは一気に席を立って青い布に集まった。時間がかなり押していたのもあり、貼り終わるとクラスによっては教室に戻っていくオーディエンスもいた。20人のメンバーが600人全員の前で終わりの号令をするというところまでやるべきだと考えていた私にとって、人がどんどん減っていくこの状況は歯がゆいものだった。

 

だんだんと青い布が埋まり、良き所で鐘が鳴った。閉校式がはじまるのだ。20人が黒板の前に1列に並び、いつのまにか全体のリーダーのようになったトリスンが挨拶をする。「Good afternoon. Now we are closing School of Sky. Bye Bye.」格好良くて、泣けるシメである。最後にみんなで「School of Sky!」と叫ぶ。1回、2回、3回、なかなか終わらない。これを言い切ったら終わることをみんな分かっていた。よきところで「せーの」と私がいうと、これまでで一番大きく元気な声で「School of Sky!!」と返ってきた。自然と彼らに歩み寄り、握手をしていった。小さな手と交わした20回の握手を私は忘れない。もう一度鐘をならす。落ち着いた。トリスンがまわりとこそこそ話している。「Sayonara!! Thank you Jun and Igarashi!」男子数人が叫んだ。マイクを離さなかった理由はこれか。「ありがとう、さよなら!」我々はゆっくりと片付けをはじめた。

 

Sky Bedを解体する。つくるときは時間がかかるが片付けはなんとあっけないのだろう。竹を結う縄はポリバケツ一杯分、空の布は5枚、そのうち1枚を作業場にしていた緑の屋根にくくり残す。校舎に貼ってあった数枚のチラシは丁寧に剥がして自分のファイルにいれた。今日のことをだれかに伝えるために、私の中にずっと残すために。

この学校にとって、あの20人にとって、《School of Sky》の時間はあまりにも短い。でも日本から来た我々と共に、一緒に学校全体を巻き込む出来事を起こしたこと、それには短いながらも多くのハプニングがあったこと。できたこととできなかったこと、嬉しかったこと悔しかった事、泣いた事叫んだ事、その時間が《School of Sky》というワードをたとえ忘れても彼らの中に生きていくのであれば、それでいいだろう。ようするに今回様々に我々を裏切ってくれたことを誇りに思ってほしい。

 

別の視点から考えてみると、この時間によって日比野さん、五十嵐さん、そして私、3人のアーティストがもつ手法の違いが子どもたちによって明解にみせられた。つまり1人の呼びかけによって周りの全員がすさまじい一体感をみせる日比野さんの手法、空をつくり空を見る、自分自身の行動を周りに伝播させ共有する五十嵐さんの手法、全体のうちの一部に働きかけることによってその人たち対周りというアーティストが脇役となる状況をつくろうとする私の手法。個人的には自分のやり方というのをハッキリと認識させられた感覚がある。学校のなかの一員だった数人が、学校という全体に大して紙をひっくり返すように立ち向かっていく。その初動とアシストを私がさせてもらうことで、新しい関係性をともに「やってしまっている」状態を今回とてもわかりやすく目の当たりにしてしまったからだ。ひとつの現場に3人が介入することによって、それぞれがアーティストとしてのスタンディングポイントを見せつけられたと私は捉えたい。そして、20人のメンバーによる予想を越えるアクションの数々によって私たちの手法などというものは関係ないと思えるほどの創造的瞬間を見せつけられ続けたことにたった1時間の《School of Sky》を最大に評価したい。

 

とてつもない勢いで子どもたちからのサイン攻めにあった。五十嵐さんも同じ状況だった。何人に書いたか見当もつかない。校門の前で大勢に囲まれている私を少し遠くからトリスンが見ていた。「You don’t need to cry.」と私が言う。「Yes, I will never cry sir.」と彼が言った。

 私たちはDruk School をでた。

 

3日間とは思えない日々がようやく落ち着いた。

 

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